2026.08.24
子どものする小さなことの関わりから拡張され転用され複合していく共鳴の過程を捉える
保育の場では、子どもがいつも何か面白いことを見つけ、始めます。
というより、そうなるように環境を整え、援助することが保育の基本です。
その何か新たなこととはもちろんその子どもにとっての新たな工夫であり気付きです。
括ってしまえば、皆、大人にはわかりきった当たり前のことでしょう。
でも、その子にとって新たなことであり、その新たなことをさらに広げ、しっかりとしたものにするのには何度も試し繰り返し、いろいろな場面でやってみることが不可欠です。
それは同じことを繰り返して身に付けると言えば、そうなのですが、より正確に言えば、その繰り返しに見えるその都度に微妙に小さな工夫があり、発見が起きていて、そのごく小さな新しさがその子どもにとって大きな意味があります。
例えば、1歳過ぎの子どもが歩き出す様子を見てみましょう。
立ち上がり、一歩二歩と歩めばもうあとは繰り返し歩行の練習をすれば、スムーズに歩けるようになるのでしょうか。たしかに数年単位で見れば、そうなっていくのですが。日々の様子を見ると、遙かに複雑な毎日の試みが起きています。
それは一つは動作のスムースな動きの習熟であり、同時におそらく足などの筋肉の強化でしょう。それは数週間から数ヶ月以上の時間を要するようです。
その動き自体のいわば改善が進みます。ではそれは足などの筋肉の強さが高まるだけのことでしょうか。
子どもの歩き出す様子を見ているとそうではありません。まだ足腰(足の筋肉と体幹)がまだしっかりしていないと、いささかお尻を後ろに突き出した動き方になります。
へっぴり腰ですが。だからよけいに重心が後ろ側になって、尻餅をつきやすくなりますが、同時にそれはまだ歩行が未熟な間の安全策にもなっています。歩み出すのも一歩をおずおずとむしろ慎重に行い、視線はその床と足を見ています。
少しすると数歩以上歩けて両手を突き出してバランスを取り、数歩スタスタと歩きますが、それは前に転ばないうちに足を出すような感じです。
そのうち静かに立っていることが安定してきます。それは自動的にそうなるのではなく、姿勢が倒れそうになるのを反対側の動きで補正して立つことです。
もう一つ歩く動作で重要なのは歩く際の地面とかそこにある物が障害となることです。
平らか、滑りやすいか、坂になっているか、段差があるか、何か物が置かれていて、それを迂回するか、乗りこえるか。それぞれ動き方は微妙に異なります。
坂や階段や滑りやすい所だと、足指に力を入れて踏みしめて歩く必要があります。
物があって方向を変えることもあります。わずかな段差や物があっても、少し足を持ち上げる高さを上げるようにします。
歩くとは環境への適応であり、いわば歩くこととは環境を込みの動き方であるわけです。
その動作に伴い姿勢も視線も力の入れ方も変化します。転びそうなときに何かに捕まるとか、足先に力を入れるとかもするでしょう。
そのような歩き方が巧みになっていくところで、そこでの動作を他の活動へと広げるでしょう。
歩くというより、台の上に乗るとか、背伸びして何かを取るとか。
よく見ると、椅子に座ったり、床に腰を下ろしている際の動作も並行して変化していきます。それはむしろ他の活動の中に歩行を支える動作の部分が入りこんでいくとか、そこでの活動のあるところが歩行での動きと共鳴して変化させていくわけです。
そして何より歩行により新たな活動が生まれていきます。
2歳前後になると、単に歩くだけでなく、物を持って歩くとか、歩きながら遠くの人を見て、そこに声を掛けるとか、逆に声を掛けられた相手を見て、そちらに向けて歩くとかが増えていきます。
活動の組み合わせが積極的に試行され、子どもの世界が大きく広がるのです。
このように見ていくと、たかだか1年くらいの変化なのですが、そこに中核動作の習熟と共に、そのまわりの環境としての物への適応が進み、さらにそれに伴い、他の活動への転用が起こり、そこに類似の活動への共鳴が起こります。
そしてそれは複数の元々異なる種類であった活動の組み合わせへと発展していきます。
そのように分析すると、日々の小さな変化が実は子どもの側のささやかな工夫と試しであり、またそこでおそらく発見したことを適用する営みが日々続いていっています。
それはつまり、子どもは毎日新しいことを行うのだということです。
そのことを見出すと、保育の仕事はもっと複雑で繊細で驚きに満ちていて、面白いことが実感されていくのではないでしょうか。












